第三十四回 聚楽第行幸

今夜の功名が辻は、秀吉(柄本明)が自分の地位を磐石とするために後陽成天皇を接待する経緯と、茶々(永作博美)が鶴松を生む話である。私が観始めた時は北の政所(浅野ゆう子)と茶々が鬼気迫る向かい合いをしているところであった。どんな話が展開したのかわからないが、北の政所が、茶々に刺すような視線を浴びせ、「ご立派な決意じゃ。」と言い放って去るところだった。後の展開から推測すると、側室茶々が、正室北の政所に子供ができたと言ったか、産むと言ったかそんなところだろうと思う。
今回の浅野ゆう子永作博美の対立は面白かった。北の政所は正室の権威を傘にきて茶々を圧倒しようとすが、子供を産めない敗北感はどうしようもなく、その悔しさをなりふり構わぬ激しさで表す。観客にはそれがおかしい。浅野ゆう子はわざとらしくなく演じて存在感を持ち、また秀吉の母なか(菅井きん)に、子供が出来ない悲しみを明かすのだが、この場面など時の権力者の妻の誇りと切なさの狭間で崩れていく様にリアリティがあった。とにかく生々しいのだ。


千代と一豊(上川隆也)だが、一豊は聚楽第行幸の準備や接待の役を仰せつかり面白くない。同じ役の石田三成中村橋之助)に指南を頼むなどしなくて出来ずいいところがない。宮廷の遊びも覚えなくてはならない。武道一筋で上様に仕えてきた一豊はどれもこれも釈然としない。それでとうとう仮病を使って引きこもってしまった。
何しろ、26歳の加藤清正は肥後を制圧した褒美に、小西行長とともに肥後を半石づつ与えられたのだ。肥後を半石づつといえば25万石づつなのだ。一豊にしたら、自分だって遠征に行けば手柄を立てられたのに、と秀吉が恨めしいのだ。
千代はと言えば、北の政所に豪華絢爛の内掛けを作って、それを天皇の目に止まるところに展示すると言われ張り切って製作する。結果、天皇がその内掛けを気に入り献上する。
千代は先週拾った赤ちゃんを引き取ることを一豊から許してもらい、我が子同然に育てていて充実している。
相変わらず、妻の方が輝いている夫婦である。


などなどありながらも聚楽第行幸は豪華絢爛で大成功で終わる。そして茶々が懐妊。秀吉の狂喜乱舞は尋常ではない。
時は天正17年5月27日、茶々は男の子を産む。鶴松である。ここで北の政所は、なかに寂しさと悲しさを表し、なかとともに泣く。なかは、「許してちょー。」と息子の理不尽を詫びて泣き、北の政所は、「子を産めない私が悪いのです。」と泣くのだ。


鶴松の誕生で、秀次(成宮寛貴)の守り役の、一豊、中村一氏(田村淳)、堀尾吉晴生瀬勝久)三人は複雑である。秀次は勿論不安げである。その秀次に秀吉は、「わしが亡き後、天下は誰がとるのじゃ、言うてみい。」と詰め寄ったりする。いやな権力者だ。黒田官兵衛は自分の立場が微妙になるのでそこから逃れようと隠居をすると言い出したりするが、秀吉は有無も言わさず自分の意の通りにさせようとする。ほんとにいやな権力者だ。


一豊は、それやこれやで秀次のことを思うと気が重い。そんな一豊に千代は言う。
「秀次様は、跡継ぎなどという重荷から離れることができてようございました。」と。・・・このセリフは、後の秀次に影響を与えるのに違いない。


さて、茶々と三成であるが、暗所に咲く花のような妖しさを漂わせていく。観客が、鶴松は三成の子供であるかのように誤解するのを仕向ける演出である。
そして千代は、ひろいと名づけた捨て子を抱いて城下の賑わいの中を幸せそうに歩いていた。そこに見覚えのある男の横顔が目にとびこむ。はっとする千代。副田甚兵衛(野口五郎)である。秀吉の妹旭の元夫で、秀吉に無理やり旭を奪われ家康に嫁がされ、行方不明になっていた甚兵衛。<来週に続く>