第四十三回 決戦へ

関が原の戦いを目前に控えて、諸大名は、石田三成中村橋之助)につくか徳川家康西田敏行)につくか揺れに揺れる。
三成は、重要な大名の家族を人質にとる作戦を立てていたが、細川ガラシァが死んだことで、かえって諸大名の反発をかうとして中止する。この中止で、千代(仲間由紀恵)は危機一髪難を逃れる。
どちらにつくかの決定をぎりぎり伸ばしに伸ばしていた一豊(上川隆也)は、ついに、「徳川様にお味方する!」と決める。この決意が滞りなく運んだのには、千代の機転が大きく影響していた。一豊のもとに、石田三成からの密書が届いていたのだが、千代が、「徳川様につくつもりなら、これは封を開けずに徳川様に差し出せ」という指示をしていたのだ。一豊はそうしたことで、家康の信頼を得るのだ。


と言っても、家康は、秀吉の近くにいた者たち、一豊も含め、福島正則たちを信用しているわけではない。
この回は、家康の狸振りが描かれている。潔癖な性格で義を重んじる三成が手玉にとられるように追い込まれていくのがよくわかる。本当はもっと老獪で巧妙であったろうと思われる。


この回で印象に残った場面は、今は引退している一豊の盟友、堀尾吉晴が跡を継いだ息子に、「城も所領も全て家康様に差し出せ」と言ったというところだ。
これは、堀尾のやり方を示したのではなく、いかに家康が腹の底のわからない、あるいは腹黒い人間であったかを示すことであろうと思う。そこまでしなくては、生き延びることができない恐ろしさがあったのだろう。
また、淀君永作博美)の浅はかさも示された。
三成が、川を挟んで(何川?)家康軍と相対するにあたって、淀君に、「秀頼さまにお越しいただきたい。秀頼さまのお顔を見れば、秀吉さまに仕えていた大名たちはみんな家康を寝返るでしょう。」と申し出た時、「そんな危ない戦場に秀頼は出せない。」と言って拒否したことだ。
この時、秀頼が行けば、三成が言うように、福島正則はじめかなりの大名たちは三成側に戻ったもではないだろうか。ま、どっちでもいいのですが、老獪な人間より義を知る不器用な人間に弱いもんで・・・。
そういう意味では、山内一豊は結構世渡り上手だ。軍師的な千代が賢いのは当然だが、一豊もなかなか。だって、堀尾が、城も所領も家康に渡せと言ったことを、堀尾の息子が優柔不断でぐずぐずしている間に、さっと横取りして、家康の信頼を勝ち取ったではないか。・・・後で堀尾の息子に謝ってましたが。
でもここは、「我らは、家来や領民の安全と幸せを考えねばならない。そのための知恵が必要だ。」と一豊がしみじみと言うことに従いましょうゾ。もっともでありますからして。上川さんの演技も説得力があったし。


さて、来週はいよいよ関が原である。・・・真田親子は出るのか知らん?