名探偵登場

先週は夫も一緒に相棒を観た。この一緒に観る、ということが夫にとって悪くない感触があったので、今週も一緒に観ようと思い、就床の準備をしないでテレビの前にいたのであるが、夫はやたら気を散らして落ち着かない。そのことを私は、ドラマを観たいものだから気づかないふりをしていたら、トホホホな状態になってしまった。
夫は排便をしたかったらしい。だが認知症が進むに従い、健康な時のような排便をしたいという脳内の伝達ができなくなっているらしく、何か感じるのだけど、それが何かわからない、という感じなのだろう、落ち着かなくなり、そのまま下着の中にしてしまうのだ。


というわけで、『名探偵登場』はちゃんと観れないで終わった。
でも、ちょこちょこと観た限りでも面白い展開だったと思った。
なんでこんなに相棒が好きなんだ? と考えてみたが、右京さんと薫ちゃん、そのほかのレギュラーもみんないいなど好きな理由はたくさんあるが、とりわけ筋は複雑だけど描き方がとてもシンプルなんですね。そこが何とも心地良いのです。


来週は残念ながら仕事で都心まで行くし、そのあと忘年会の予定だから(たのしみ〜ニコニコ)相棒は見れないなぁ。ビデオはとれないし。ま、いいか。いつか再放送に出会うことを願おう。

あるブリーダー氏のブログを読んで

昨夜、自分にきたリンクのいくつかを辿っていたら、ある人の、アークエンジェルへの考えを書いたブログがあった。長い文だったが読んでいって、『ああ、あるほど・・・・・。』と思った。
それは穏やかな口調で綴られていた。だが、井戸端会議の世事口調の艶を帯び、近所の奥さんの好奇心をそこそことくすぐりあおり、いつの間にみんなを自分のペースに巻き込んでしまう力を秘めた説得力のあるものだった。
内容は、アークエンジェルの代表がカンパの使い道を明瞭にしていないことの疑念であった。「これって、ヘンじゃない〜? 私たちは、本当に犬のためにカンパしたのにィ、なんかヘンな使われ方していたら、悲しいわ、ね?」という調子で続いていた。
この論理だけ見ると、なるほど筋が通っている。あまり問題の本質を考えていなければ、「そういえばそうだわ!」ということになるのだ。
そこで、『ああ、なるほど・・・こうやって、林氏は救世主から犯罪者に突き落とされたか・・・。』と思ったのである。
書いた人は、ブリーダーだと明記されていた。
私はその記事に、自分の考えを書いてきたから私自身はそれでいいのであるが、つくづく、『こうやって世間が作られてきて、こうやって作られてきた世事が、世間の主流をなしてきたのだなぁ・・・。』ということを実感した。


トラウマをかかえ、社会性の成熟を得るのに苦労している人間が生きにくいのは当然だ。
そう、こうした世事通にかかったら、性格の欠点や独特の感覚などを持って、無防備に生きてる人間が、思いも寄らぬぬれぎぬを被せられ、あたかも悪人であるかのようにされて消えていく仕儀になるのだろう。


でも、それでも、生きていきましょう。
生きていることこそが、希望、というものなのですから。

アークエンジェルス騒動への私の総括

昨日、アークエンジェルスの代表の林氏の会見があるというので、日テレの2時前からはじまるワイドショーをつけたのだが、独自のインタビューをやっていて、それがもう既に、林氏を告訴したという元ドッグパーク経営者の大前というヤツからテープをもらって聞いた上でのものだとわかったことと、ボランティアの女性のひとりが、「林さんは、他の愛護団体が手伝うというのを拒絶した。つまり、犬の救出活動をひとりじめした。」と顔を隠して言ってるのを聞き、電源を切った。
これで全てがわかったからだ。


どこかの愛護団体が、林氏が犬の救出に成功したことを妬んで、その貧相な根性で根掘り葉掘りのあら探しをしたのさ。「ひとりじめした」の言葉にそれの全部が出ている。あの絶望的な状況を前に、ひとりじめもふたりじめも大判振る舞いも、そんなことどうでもいいことになるでしょ! 林氏にしたら、とにかく、自分が一番やりやすいようにやっていくことが大事だったでしょう。犬をできるだけ早く救うには、あれこれ回りに気ィ使ってやるより、がんがんやれるようにやっていった方がいいことは想像がつく。「ひとりじめした」と不満をもらす団体は、いつでも誰かのおこぼれをねらっている根性ってことか、どんな時でもグループの仲良し活動をしたい自分をホイホイと持ち上げてもらいたいってことだろう。まったくもって恥ずかしい人らだ。


でも、こういう自分が何をしているかわからない人や団体ってのは恐ろしい。自分を恥じることを知らず、根にもっていた。・・・そして、あの、あいつこそ悪の権化であろうと、私には見える、元ドッグパークの経営者、犬たちを、地獄におとし、長い間これ以上の苦痛はないという苦しみを与え続けた大前というヤツの腹黒い腹とつるんだのだ。


あの男は、昨日のテレビの中では、「わんちゃんをかわいそうな目にあわせ、皆さんにご迷惑をかけたから、できるだけの償いをしなくては・・・ウンヌン・・・。」といかにも良心の呵責に苦しみながら詫びていると見せかけていたが、あの男は、林氏の社会性の未熟を見抜き、『この男は、今は犬を救ったヒーローに持ち上げられて、本人も調子にのっているが、今に見ておれ。こいつは今にボロを出す。こいつは地に足のついた社会性をもっていず、自分に本当の自信を持ってない幼稚さのある男だ。今にそれが出る。そこを叩けば、こいつを奈落に落とし、わしはまた蘇る。』と、逆襲を虎視眈々と狙っていたのだ。


林氏は、大前というヤツに、お金を出させるように仕向けていただろうし、脅しをかけたような仕業もしたのだろう。このことは隠しようはないし、また林氏は、自分のしたことは認めるべきだ。
だが、林氏が大前氏にお金の要求をしたのは、私欲ではなかったろうと、私は思う。
彼は、あの惨状を前に、経営者やブリーダーを憎悪しただろう、犬たちがあまりに可哀想で。
その憎しみが、大前というヤツを追い詰めさせたのではないか、と思う。
お金に対する感覚は人それぞれで、林氏の寄付金の扱い方は、そうした彼特有のお金への感覚の表れだろうと思う。私服をこやすとか、騙し取るとかの気持ちはなかっただろうと、思う。
もし騙し取るつもりなら、あそこまで徹底的に犬を助けることはできない。


林氏は、いくつかの余人と違う特性を露呈させ、それは世間の常識感とズレがあったかもしれないが、彼の、あの犬たちによせた想いは、真に純粋で、怒りにもえ、ただただ救い、犬たちをらくにし、幸せにしてやりたい、これに尽きるだろうと、思う。


彼が、常識感とずれない生き方をする人なら、自分の犬でもない犬など救わず、出世に邁進していっただろう。
社会性が未熟で、世事にうとく、お金や世事に特有の感覚がある人だからこそ、あれだけの犬たちを救えたのだ。
私たちは、彼の癖や個性や感覚のあら探しをするのではなく、あれだけの犬を救って下さったことに、感謝と敬意を持って、それだけでいいのだ。義、ということはそういうことだ。
私は断言する。もし、イエスが、今の時代に生きておられ、広島ドッグパークのこの騒動の一部始終をごらんになっていたら、林氏に、「あの犬たちは救われて当然の苦しみを人間から強いられていた。救ってくれてありがとう。」と言われ、林氏の肩に手をおかれただろう。


広島ドッグパーク、アークエンジェルスの騒動は、本当に重いものをつきつけてきたのだ。
今回のことで、一部の愛護団体と、マスコミがますます嫌いになった。特にマスコミ。今回も最低さを見せたね。

広島ドッグパークに関する今朝の報道

先ほど時間を見るために布団を片付けながらテレビをつけたら、広島ドッグパークに関する報道をやっていて、思わず作業の手を止めて観た。昨日、東京で会った人たちと話題になったばかりだったこともあり、また今後の動物のことに関わってくる問題なので気になるのだ。


報道は、アークエンジェルが、多額に集まった寄付金をどうしたのか、という疑問に立ってのことのようだった。特に、代表の林氏に対して何らかの疑惑をもっている視点に見えた。
私は、本当に落胆のため息が出た。
落胆したのは、林氏やアークエンジェルに対してではない。あんな普通では考えられない大仕事をした人に対して、わずかの時間を経た今、こんな心無い仕打ちをするか!? という落胆である。


私は、近くに捨て置かれる犬や猫を救うだけでしかなく、現在は犬が18匹、猫が20匹という状況であるが、それでも、さまざまな不備をおかしてしまう。私は一切カンパは受け付けないので、お金にまつわる不備をおかすことはないが、それ以外のことで人が悪く見ようとしたらそうなる数々を露呈させ続けている。
実際、清掃が行き届かないことなどで、近隣の人の悪口の餌食になっているし、こちらの不備ではなく、中傷する人の想像で、事実無根のことを、さも見たように言いふらされていることもある。例えば、うちで生ませて捨てているとか、拾った猫や犬を拾うのは何らかのお金になるのだろう、というようなことである。書き留めるのも悲しくなるような、もっともっともっととんでもないことを言われていることもある。
一時、このようなことを耳にしたり、五感が感じたりすると、抗議のために焼身自殺を決行してやりたい、と思いつめたこともある。本当に本当に本当に、人の中には、真実を洞察しようとは思わない、ただただ己の卑しい根性のまま、他者のすることに、心無い愚かな浅はかな見方しかしない人間がいるのである。(これは、動物問題に関わることに限らない。何をやっても、他者を貶める人は必ずいる。また、貶めるつもりはなく、他者の言動を、自分の価値観に合わせてのみ見て、その人の真実の思いや気持ちとかけ離れた理解をし、結果的に、人を悪者にしてしまうことも起こることがある。)


こうした私自身の体験から思うのだが、林さんが、あの惨状を知って、「これは助けなくては!」と思い行動にうつされた、その魂は、真実尊い純粋なものであったろう。だから、あれだけの犬を、地獄から救い出せたのだ。
この過程の中で、やらなきゃいけないことが1000生じたとしても、1000全部を完璧に果たすことは無理だ。人間なんだもの。神でもスーパーマンでもない、ただの人が、救いたい! という魂に突き動かされて行動したのだ。彼のやるべきことは、1000の中の、たったひとつ、”救う!”ことであったろうし、それでよかったのだ。だから救えた。
終わってみたら、999の不備が、そこに露呈していた。
・・・これって、当然でしょ?! あそらく、あの救出をしている最中は、その日その日を懸命に送り、必死であったろう。お金が必要になれば、とりあえずそこにあるものを使ってしまうこともあったかもしれない。今は、犬たちを一匹でも早くらくにしてやりたい、早く助けてやりたい!!! この気持ちに終始するだけで日が過ぎていったろう。ほかのことは、どうでもいいやり方になったかもしれない。
・・・当たり前よ! ただの人間が、580匹もの痛ましい姿の犬を目の前にして、他の雑事やお金の管理を一円もたがわずやろうとできることではない。もっとはっきり言えば、多少の使途不明のお金があったって当然だ、ということ。人から何か言われないように、お金の管理などをカチカチ気にしていたら、犬たちは救えなかったでしょう、ということ。
あの行為は、いっさい間違いをおかさないようにしようとしたやる、準備に時間をかけたイベントと違うのよ!
突然、はじまったことよ! 事柄によっては、とりあえず、とりあえず、これで、という形に進んだことがあったとしても当然でしょ!?


そこに生じた不備が、犬たちが一応落ち着いた今見えたからと言って、今度はまるで犯罪者のように責め立てる。
この仕業はなに???


人間のその行為が大きかったからこそ、さまざまな人間が関わり、実際、関わってきた人人があったからこそ成就する。だがここに、人間が持つ宿命のひとつが生じる。・・・10の魂が集まったとしたら、10の魂はひとつに集約せず、10の魂がそれぞれ求めるものにそって飛び散る、という宿命である。
あの犬たちを救い出した、他の誰もができなかったことを成し遂げた人が、今、この宿命に苦しめられている。・・・そんな気がする。
多分、この宿命は、神も認め許しておられることなのだろう。


テレビの報道によると、今日の午後、林氏の会見があるという。
林さん、昨日も書きましたが、私は、何がおころうと、何を知らされようと、あなたがあの犬たちを命がけで救われたことを、永遠に忘れません。感謝と尊敬を持ち続けます。

逆転弁護

猫のバーコ、アイちゃんのことで、ここのことろ鬱々した気分というか孤立感、孤独感に陥っていました。
でも、動物を救っていらっしゃるKさん、Mさんにお会いしたり、ほんとに心のこもったコメントをたくさんいただいて、そのコメントに共感し、思いの共有感を実感しているうちに、落ち込みにストップをかけることができた感覚がおこってきました。
夕べはテレビを観よう、という気持ちまでおこりました。
ちょうど電源をいれたら、テレ朝の土曜ワイド劇場『逆転弁護』がはじまったところでした。
演出、「和泉聖治」と出たのを見て、(あ、観よう!)とそのまま座って観ました。和泉聖治監督は、最もお気に入りのドラマ『相棒』の演出も多く手がけていて、好きな監督の一人です。


『逆転弁護』は翻訳物にあった気がするのでそれのドラマ化だろうか、と思ったがそこはよくわからなかった。
高橋克典が主人公の弁護士だ。彼は、わけあり犯罪の(わけなし犯罪なんてないだろうが)絶対的に有罪に見える被告から、の無罪を勝ち取り、大金を褒章として得る弁護士で、業界から、「犯罪者よりたちの悪い弁護士」と言われているヤサグレ弁護士である。
高橋克典が、ヤサグレインテリの味をよく出していてなかなかいい感じではまっていた。彼は孤児施設で育ち、そこで、お金がないと社会からバカにされたりひどい目にあうことがあるのを目の当たりにした体験を持ち、そこから弁護士を目指した人らしい。
彼が無罪にしたわけあり被告からせしめた大金は、自分を育ててくれた施設に振り込まれている。その施設には、お幼馴染の女性(エート、名前を度忘れしました。あとで記名します)がいて、事情があって親のいない大勢の子供たちのよきお母さんになっている。ここに遊びにくると、ヤサグレ高橋弁護士は、優しい頼りになる子供たちのおじさんになっている。


さて、今回の事件は、お金持ちのIT企業の社長(黒田アーサー)の妻(高橋ひとみ)が、有名な占い師を殺した、しかもテレビの生中継の現場でおこった。妻は自分が殺した、と言うが、夫は会社の名誉のために、妻が殺人者では困る、無罪にしろ、と弁護士に横柄な態度で仕事の依頼をする。手付金は一千万円である。
ここで弁護士に必要な情報を収集する大杉連扮するライターが登場。警察の捜査とは違ったルートで、事件の真相に迫っていく。この二人は、真実を歪めて自分たちが勝つ、というところは全くない。その点は清廉である。


と、結局、意外な展開で、妻は殺人を犯していないとわかり、裁判でも無罪となる。弁護士の勝利である。彼は、一千万にもうひとつ0をつけたお金をとる。IT企業の社長は、妻への愛情で無罪を主張していたのではなく、自分の会社の利益のためであるので、一億のお金を要求されても出したのである。だが彼は、手痛い結末が待っていた。妻は去っていったのである。


などなど、人の弱みにつけこむ人間へのアイロニー、と、心に傷を深く受けている人への優しい眼差しがわかる、図式としては単純なドラマ作りなのだが、その単純さが、浅さや甘さ、に通じているかというとそうではなく、深い含蓄の含んだ現代のメルヘンを観たような満足感を覚える作品になっている。
高橋克典、大杉連、中條?(孤児院の女性役)、被告役の高橋ひとみの好演もあって面白かった。
女性検事役に秋本奈緒美(?)が扮していたが、一見ヒステリック風な作りであったが、でもバランスのとれたきれる女検事、というところが感じよく出ていた。

1165763511**[生き物][広島ドッグパーク][私の動物愛護考]会食とアークエンジェル

今日は久しぶりの人々、数人と会食ができて楽しい日となった。
広島ドッグパークの話題が出て、あの悲惨な犬たちを救ったアークエンジェルの代表の方が、いろいろ中傷されているという話になった。
あれほどの地獄のような惨たる状況におとされ、苦しみの極限にいた580匹もの犬を救った人に、よくも悪口を投げつけられるものだ、というのが一致した意見であった。


この件では、救ったアークエンジェル、特に代表の方に対して、何かよからぬことを言い流す人がいるというのは、ネットなどの情報で少し知っているのだが、私はそれを聞いたり読んだりするたびに悲しくなる。
あの救出は生半可じゃできない凄まじい活動だったと思う。1+1=2とならない仕儀はいっぱい出てくるだろう。ちょっとしたことをやろうとする場合でも、思わぬ結果が出たり、失敗があったりするものだ。
そういうことを許さない人々の方こそ私はいやだな。悲しい。そういう人人は、攻撃やあら探しが目的のようになってしまってる気がするくらいだ。
そんなものにつられて、そうだそうだと中傷に流れるのって、いじめの構造そのものだよ。
もし、助けた人に人間としての倫理にはずれたことがあったとしても、それはその人の問題でしょう。天にまかせておけばいい。妬みそねみヤッカミの入った攻撃ほど醜いものはない。彼を攻撃する人は、妬みやヤッカミではない、正義感からだ、と言われるだろうか。もしそうなら、そんな正義感は貧相だ、と言い切りましょう。


私は、アークエンジェルの人たち、代表に、永遠に感謝と敬意を忘れないよ。本当によくやって下さいました。ありがとうございました。


それにしても、生き物の生命を守ることって、結局、生き物は実際には何も言わないんだから、誰のやり方が正しいかなどわからない。謙虚に、他者の活動を認めるしかない。
文句を言いたい人には言わせて、それを黙って自分が受けて、魂を通わす生き物を守っていけばそれでいいんじゃないかな。・・・と、私の場合は、活動ということではないが、ここに立って猫や犬を守っている。時々癇癪おこすから、黙って受けて、とは言い難いけど。

最終回 永遠の夫婦

山内一豊上川隆也)が脳卒中で倒れる。献身的に介護をする千代(仲間由紀恵)。一豊は一時回復し、左半身が不自由ながらも、家康への忠節を形に表すなど山内家の安泰のために尽くし、ついに死を迎える。
・・・ここまでの夫婦の姿を細やかに丁寧に描いている。上川隆也は明らかにこのシーンのために減量したのだろう頬のこけ方を見せ、また仲間由紀恵は美しいながら落ち着いた深い眼差しを見せ、永遠の夫婦と呼ぶに相応しい演技だった。一年間楽しませて下さりありがとうございました。お疲れ様でした。


それにひきかえ、淀君永作博美)は哀れな末路となった。死ぬのを嫌がり、家来に殺されるのである。永作博美淀君は、これまでにない新しいタイプの淀君となるのかと期待していたのだが、ただの浅はかな女となってしまって残念だった。何であんな淀になってしまったのでしょう?
寧々(浅野ゆう子)も、もっと影響力のある重厚な人物になっていくのかと思ったが、ただの噂好きに終わった。
このドラマは、信長が生きていた頃が華だったかなぁ。